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2011年6月

2011年6月 8日 (水)

タイでGETしたミャンマー土産

タイには、隣国ミャンマーから出稼ぎや人権侵害により避難してきたミャンマー人が少なくとも300万人(人によっては500万人と言う)は住んでいる。難民のミャンマー人はタイ政府によってタイ国内の移動を制限され、ひとつの地区から外に出られないことがある。そんなミャンマー人のためにタイで発達したのが、ミャンマーグッズを販売する行商だ。行商はミャンマー人労働者が多くいる会社や工場を訪れ、自国の食べ物や雑貨を売りさばく。

Kasi

2011年5月中旬、家族がタイのバンコクに集う。写真はタイのミャンマー人行商からGETしたミャンマー産の品々。ミャンマーのメン料理であるモヒンガーの素が入ったインスタント食品(右下の黄色・オレンジと中央下の緑色の袋)、茶葉とナッツを炒めるラペッ(右下の緑ボトルと豆の入った袋)、ひまわりの種(中央下)、乾燥海老のふりかけ(左下)、タマリンドの飴(中央部) 、ドライフルーツ、ほか変り種ではヤギの乾燥肉など。

●味の評価● ※星5つが満点

インスタントモヒンガー:☆☆☆☆☆ ※日本のミャンマー人が屋台で作るものより、さっぱりしてうまい。

ひまわりの種:☆☆ ※中国人が生産しているのがパッケージの漢字から分かるが、八角のようなスパイスが効きすぎていまいち

乾燥海老のふりかけ:☆☆☆☆☆ ※ドライにんにくとまぜて、白いご飯にかけて食べる。ミャンマーの魚を食べる人々にとっては、日本の小女子に位置する食品のようだ。しいて言えば、ちりめんじゃこに近い感じで、くせがなく美味しい。

タマリンドの飴:☆☆☆☆ ※乾燥タマリンドに砂糖をまぶした自然のままのソフトキャンディー。濃い味がくせになる。

ラペッ&ヤギの乾燥肉:未評価 ※食べていない

2011年6月 1日 (水)

ミャンマー人の結婚式に参加した。【2】

Hanawa

ゾーミンカイ氏夫婦が、新郎新婦に花の首飾りをかける。この後、3人ほどの祝辞スピーチ。通常ミャンマー人のスピーチは1人で30分間も話すなど、あり得ないほど長いので、 この日も長々と演説を聴くのかと覚悟していたが、開始時間が遅れたためか1人10分間ほどで終わり。

Koromogae

披露宴から立食パーティーに移行すると同時に、新郎新婦は洋装に。洋装と言っても、女性の衣装はミャンマー民族衣装の布地で作られている。

Karaoke

立食パーティーでは、アラカン語の歌謡曲がエンドレスで流れる。それに合わせてカラオケをする輩が出てきた。日本の秩序立った披露宴とはかけ離れた自由さ。

Saigo

新郎新婦が式場を去る時には、参列者が出口で待ち構える。これはミャンマーの伝統で、新郎新婦が参列者にお金を渡さないと、外には出れないという儀式。その意図は、「まだまだ結婚式を楽しもうよ」と新郎新婦を出口から逃さないようにする友人たちに対して、「私たちは一刻も早く2人きりになって、ラブラブしたいのよ。でも友達が出口を塞ぐというなら、お金をあげてどいてもらおう」という気持ちを表すという・・・・・・。千円札、万札が参列者の間を飛び交い、ワーワー(ギャーギャー)騒ぎながら札を取りあう。

ちなみに、式前にご祝儀をあげるのは日本と同じ。ただ日本のように「札が奇数になるように」「友人は●万円、上司は●万円」といった細かい決まりごとはない。

総括・ミャンマー人の結婚式は、日本の披露宴ほど綿密な計画上に進められるわけではないが、一定のルールや儀式にのっとって行われるようだ。経験になりました。

ミャンマー人の結婚式に参加した。【1】

2011年5月初旬、私は東京で開催されたミャンマー人の結婚式に参加した。日本にいるミャンマー人は8000人近く、うちミャンマーの軍事政権に対して民主化活動を展開するグループが31団体ほど存在する。各団体は主にミャンマー国内に多数存在する民族ごとに集まって活動している(民族を隔てた団体もある)。

今回の結婚式は新郎がアラカン人なので、アラカン人の民主化活動グループのアラカン民主連盟(Alakan League For Democracy, ALD)とアラカン人のボランティア団体Alakan Social Association Japan(ASAJ)の面々が多く出席した。

ちなみにアラカン人はバングラディッシュ国境と接するミャンマー西部のアラカン州という地域に多く住み、一部は国境を越えてバングラディッシュにも住んでいる。よって純粋にミャンマーの民主化を求めないアラカン人の団体には、在日ミャンマー人とバングラディッシュ人が混在する。つまりALDにはミャンマー国籍のアラカン人が所属し、ASAJにはミャンマー国籍とバングラディッシュ国籍のアラカン人がいる。結婚式の出席者は両団体、両国から100人以上が参列した。もちろんアラカン人がミャンマーの他民族であるビルマ人などのパートナーを持つケースも多く、参加者の民族は多種多様だ。

ちなみに日本人の出席者は新郎の雇い主である材木屋の社長さんと、バングラディッシュ国籍のアラカン人の日本人妻、そして私の3人だった。

Photo

結婚式開始まで待つ。午後4時開催が、1時間経っても始まらない。写真左から2番目、アラカン人民主化活動家の中核の1人、ゾーミンカイン氏いわく、「これがバーマ(Burma、ビルマ)スタンダードタイムである」と。写真には写っていないが、私の右隣にいたアラカン人の学者先生も5時になると「レーナイン(ミャンマー語で4時)開始って言ったじゃないかよオ」とさすがにいらだちを隠せない様子。この写真では中央で携帯電話を持つアプ氏のみバングラディッシュ国籍で、ほかはミャンマー国籍(と日本で生まれた事実上無国籍の子)。ちなみに席次は決まっていないが、新郎新婦に近い位置から、何となく、各団体の序列で偉い順に座る。序列は、民主化活動を積極的にやっているか、活動の先輩であるか、そして頭が切れるか、などで決まっているように見える。

Photo_2

ようやく開始

Photo_3

Photo_4

指輪は立会人の夫婦が、新郎新婦にはめてあげる。立会人の女性は新郎に、男性は新婦に指輪をはめるのが形式らしい。

Photo_5

アラカン人夫婦立会いによる、結婚署名を行う。

友人Ryuta Ezaki氏執筆!! 女子キックボクシング記事

友人のRyuta Ezaki氏は「NUMBER」執筆をねらっています!!というわけで、その前哨戦として女子キックボクシング記事を書いているのです。

記事はコチラ

コチラ「バウトレビュー」にも載りました。

専門医局・スペシャルインタビュー執筆

医療記事を書きました。

専門医局・スペシャルインタビュー

写真撮影もわたし。

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