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2012年7月 5日 (木)

子育て支援拠点で多文化共生を思考する

核家族化は、かつて日本の高度経済成長を促すために、地方から働き手となる若者を都市部に誘導したことから急速に進展した。地方に残された高齢者や働き手となれない人々と、働き手の世代分離が進み、いわゆる濃密な近所づきあいもなくなっていった。当然ながら、地方に残された高齢者を世話する人々がいなくなった。だから日本の行政は介護保険という制度(2000年~)をつくり、行政が高齢者の面倒みましょうとしたのではないか。昔、取材で出会った保健師は、日本の高度経済成長を支えた元・首相や超・大企業の元・社長の、最期にいたる療養生活の様子を知っていた。聞くと、とても幸福という文字は見当たらない孤独な療養生活だった。「日本の家族介護や地域社会を引き裂いたのは行政」と彼女は言った。もちろん介護保険制度が、家族内で嫁にばかり介護の負担を強いていた状態を緩和したことや、保険に加入すれば均等に介護サービスを受けられるというメリットを生み出した点は否定できない。

しかし日本の地域の崩壊は、経済第一主義を掲げた行政主導による世代間分離から生じたという側面があるのではないか。経済成長は、戦後復興には欠かせなかった。経済成長なくして、この豊かな環境はない。だが家族の形を変えてまで、社会全体で経済成長に走った結果、弱者は取り残され、孤独化した。

さて、(一部分は行政によって)崩壊した地域社会を、行政が補う(という、ある意味本末転倒な)事業は対高齢者に限った話ではない。子どもを対象にした「地域子育て支援拠点事業」もある。かつて子育てのアドバイスをしてくれた地域の年配の方々との付き合いが希薄になった地域社会で、子の親に子育ての負荷がかかり、子どもに対する虐待が問題化した。そこで市町村レベルで地域ごとに子育て支援拠点を作り、親と子が集って語らい、主に母親の育児の精神的負担を減らそうともくろんでいる。この事業は厚生労働省から補助金が出て、市町村が実施主体になって行っている。私の住む市では、区単位で子育て支援拠点が設置され、NPOなどが市から委託を受けて、有償スタッフを雇って運営している。偉そうなことを言っても、地域社会を自力で再生する力のない私は、この事業を頻繁に利用している。子育て支援拠点で、ほかのお母さんたちと語らい、子育ての精神的負担を軽減している。

スタッフはほとんどが子育てがひと段落した女性で、よく気がつくし、たとえばミルクを熱いお湯で作ったあと人肌の温度に冷ますのに使う、特性のビーカーを水道脇にそっと置いていたり、かゆいところにも手が届くサービスを提供する。

また、子育て支援拠点ではさまざまな催し物が実施されている。ヨガ、気孔など体力づくりから、ミニコンサート、近隣の保育士の出張授業、特定のテーマをもとにした座談会などだ。こう述べると、一見、行政主導には見えないきめ細やかなサービスの在りようなのだ。私の家がある近隣に住む母らは、こうした催し物のスケジュール表をチェックして、多忙な家事と育児の合間をぬって自分が子育て支援拠点に行く日を決める。

ふう、ようやく本題に入る。私は娘を産んで10カ月、ようやく念願の催し物「国際交流」に参加した。国際結婚カップルや、外国人住民、外国に興味のある人が月1回で集まり、情報交換に花を咲かせる。私が参加した理由は、もちろん情報交換なのだが、自分の住む地域の国際化をこの目で見てみたかったからだ。

「国際交流」には8人ほどの母が参加していた。韓国、中国、香港出身の女性が多い。日本人女性は、アメリカ人の夫を持つ方、国際結婚はしていないが、中国語が堪能で中国語を忘れないようにやってきた方、夫とともに海外赴任するため、国際感覚を養いたいと考える方、それにミャンマー人妻の私という顔ぶれだった。

外国人でこうした日本の行政の催し物に参加できる女性たちは、第一に裕福であり(本人たちはそう言わないが、世界の最貧国ミャンマー人の夫を持つ自分には、彼女たちを見て裕福か否かはすぐに判別がつく)、第二に知的好奇心が強くて多文化共生を意識しており、第三に、ほとんどの割合で、日本語の会話が出来る。つまり子育て支援拠点に来なくても、本人は「大変だ、苦労している」と言いつつ、自力で日本で生き抜く力がある。

印象的だったのは、東日本大震災以降、アメリカとヨーロッパから来ていた方々はほとんど祖国に帰ったという話だ。放射能が怖くてしょうがないのだ。私が幼少期から現在まで住む県には米軍基地がある。そこに勤めるアメリカ人男性と日本人女性が結婚する話は珍しくない。子育て支援拠点のスタッフの話によると、3・11以降、そうした軍人妻たちがいっせいに去ったという。夫が一端アメリカに戻ることになり妻も渡米、その後アメリカ暮らしになるか、日本の別の基地に行くことになったという話が多い。この県で栽培した茶の放射線量が国の基準値を超えたと報道されたし、アメリカは独自で日本の放射線量を測っているだろうし、しょせん自分の国ではないし、立ち去るのは自然現象かもしれない。しかし立ち去った人々の中には、軍人だけでなく、ビジネスマンもいたはずなのだ。そうしたビジネスマンたちは、「われわれのサービスを提供すると日本のためになる」とアピールして日本で仕事をしていただろうに、原発事故後は即効帰国か……。などと考え、「やっぱりお金のある国の国民はね、真っ先にわが身を守ろうとするよね」と口走ってしまった。貧困国から出てきた人間は、原発事故があっても養う家族がある以上、日本から逃げて祖国へ帰るわけにいかないからだ。尻尾を巻いて逃げた、というより逃げる余裕のあるアメリカやヨーロッパという外交上エリート組の国の国民と、日本に残って働き続ける中国人や東南アジアの人々……という日本社会における外国人の動向を目の当たりにする。

今回の催し物には、区役所で外国人子女に日本語教育などの支援をする日本人も来ていた。その方はかつてミャンマー人の支援をしていたのだが、そのミャンマー人が自分が困った際だけ彼女を呼び、その後、いい加減な態度をとった。彼女は支援を継続する気がおきなかった、という話を聞く。これはミャンマー人だけに限った話ではなく、たとえばある外国人が「私たちは困っているんです。助けてください」と日本社会のマスコミに訴える。NPOなどが彼らの生活支援をする。その外国人はそうした支援を「当たり前に享受できるもの」と思う。「でもまだまだ支援が足りない。もっと助けてください」と言い続ける。善意あるボランティアの人々は、外国人を助け続ける。そして、助けが必要なくなると、彼らはボランティアの人々の前から姿を消す。こうした話は、本当に珍しくない。

ボランティアで助けられた人が、いずれ助ける人になれるとは限らない。

そもそも、「いずれ助ける人になれる」なんて助ける相手に望むのは、ボランティアという性質上、おこがましい。

しかし、日本の「国際交流」は、もはや住む国の違う人々の交流を促すだけでなく、日本における多文化共生の意味を含み持っている。多文化共生には、日本人の理解促進も欠かせないが、日本にやってきた外国人が、日本人の力になるよう努力することも必要だ。この相互作用がなければ、日本社会は多文化共生の道を歩むのがとても難しくなる。実際、私の夫の友人でも、ほとんど日本人と交流しない人が結構いる。共生ではなく、自分たちで固まって生きていく場所が確保できればそれでいいのだ。地域社会は多文化を包含しながらも、日本人と没交渉の外国人コミュニティが群生する様相を呈する。これでは、人々の顔の見える地域社会とはいえないのではないか。このまま外国人が日本で増えると、「何を考えているか分からない隣人が増えて嫌だ」という反外国人感情が芽生える。

日本の地域社会は、日本人だけでは成り立たなくなった。地域社会づくりを考える上では、先に述べた日本社会の核家族化、子育て問題に加えて、多文化共生についても視野に入れる必要がでてきた。すこやかな多文化共生をはぐくむには、自分の目の前の人を理解していくことから始めるしかない。しかし我が家の、私と夫の多文化共生は、双方の文化の純粋に継承することはできていない。2つの文化を自分たちで妥協した形にしたものだ。100あった私の背景の日本文化は、75くらいしか我が家にない。その代わり、相手の75のミャンマー文化がある。そこで納得することが、多文化共生ではないか。欠けていると見るか、いや増えたものがあるではないかと考えるかは、本人次第だ。

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