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2012年10月

2012年10月 4日 (木)

また、デジタル鹿砦社通信に名前が載りました

デジタル鹿砦社通信 (鹿砦社)に、私がミャンマー大使館から渡航のためのビザを発給してもらう顛末が載りました。2012年10月2日の記事です。

★タイトル★

後味のよくない、ミャンマー大使館のビザ発給

ぜひお読みください。

私と娘の渡航ビザを発給してもらった次は、難民である夫のパスポートを得なければなりません。ミャンマー大使館は、パスポート発行についてミャンマー本国外務省が判断する言いました。今のところ、大使館は日本にいるミャンマー国民の夫(民主化活動家)にパスポートは出さないということです。

ずいぶんな業務遂行実態ではありませんか。

「民主化」したとはいえ、いまだに全国民の身分を保障するパスポート発行には、ためらいがあるようです。しかしミャンマー大使は夫と私に言いました。「いつでも困ったことがあったら、日本国外務省を通さず、直接話しにきてください」と。いま、パスポートが無くて困っていますよ。ええ。

パスポートを所持していない人間が、どれだけの国家から入国を拒否され、苦虫を噛むような思いをしているかなど、外交特権のある政府職員、大使館職員に分かるはずないかもしれませんが。ましてやビザを持って海外の飛行場へ行ったにもかかわらず、パスポートが無いため飛行場職員に拘束されそうになる恐怖、さらにその国は軍が国家で大きな権力を握っていて、よりによって飛行場にいる軍服職員に連行されそうになる恐ろしさなど、ぜったいに理解できないでしょうけど。

正直、難民の妻は海外渡航のたびに、寿命が縮む思いなんです。各国飛行場のイミグレーションと書かれたゲートに近づくにつれ、沸き起こる恐怖と不安感……。こんなことをぼやきますと、当事者である我が家の難民(夫)からは「弱っちいこと言ってるんじゃないよ。物書きが」と、むやみやたらな根性路線で切りかえされますが。

2012年10月 3日 (水)

ミャンマーから帰国しました。執筆・編集業務を再開いたします!

9月は日本ミャンマー支援機構株式会社の現地視察ご同行業務などで、日本を留守にしておりました。なんとか日本に帰国いたしましたので、10月より、みやまの本来の業務である執筆・編集業を再開いたします。

ミャンマーのビジネス展開業務に追われて、本来の業務がどちらなのか、微妙になってきているかもしれません。業務遂行の時間配分においては、です。しかし年末に向かって書籍編集が待ち受けているはずなので、ここらで執筆モードに入ります。

1ヶ月も穴を開けたにもかかわらず、以前より多く原稿をご発注してくださりました、長き歴史のある某出版社のHさまには、心より感謝を申し上げます。ナム。

ますます文章の美しさと骨格を際立させ、かつ、ひとりでも多くの読者の心を打つ内容を忠実に表現するべく、感性を研ぎ澄ませて、心を磨かねばなりません。

ミャンマーへの感想を少し書きます。

ミャンマー(ビルマ)は、文明社会に慣れきった日本人の私を、根底から荒く揺さぶった。

美しい文章の書き手になることが10年来の夢で、20代は、夢が、最も大事だった。けれども、今回のミャンマー訪問は、まだ果たせずにいる夢をあまり思い出さなかった。度重なる断水に苦労する人々や、学校に通えない13歳のウェイターを見るだけならまだしも、賄賂を受け取らず洗練潔白に生きて、結果、餓死する人の話を聞けば、自分の夢など羽のように軽い。

30代の自分は、もっと実質的に世の中に働きかけて、社会を、世界をよりよくしていきたいと考えるようになっている。子どもの労働者の足元に落ちる雑誌の記事を書くよりも、その子が、せめて今日と明日は生活できる金を得られる環境を作るビジネスを展開してみたい。

ミャンマーの市井の人々に金や物資が落ちるなら、税金やお茶代と呼ばれる手付金を同国政府に払わねばならなくとも、やる価値がある。それが日本社会の産業を少々なりとも発展させるなら、尚のこと、やらなければならない。

いつか、手がけるビジネスが執筆業と絡まっていく気がします。

Header2

写真はミャンマーのバス。こうした小型バスは機動性に富み、さまざまな目的地へ行きます。

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