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2014年5月 9日 (金)

日本人がミャンマーに渡航できない!? 渡航ビザ取得つれづれ4

「大使との面接希望日として出して、ファックスしてください」なんて言いながら、その面接希望日になしのつぶてである。何の連絡もこないのである。ミャンマー語で表現するところの、「アともエとも言ってこない」(ミャンマー人夫が、怠惰や小心である人が何の反応も示さない様子を表すときに、このフレーズを言う)状態である。日本人の私は「日本語ではウンともスンとも、と言うんだよ。そういうときの表現は」といらだちながら言いかえたりする。いらだちの原因は、もちろん、怠惰か傲慢か無関心か、おそらくそのすべてを混ぜ合わせ、体現しているミャンマー大使館の民主化活動をしていた自国民およびその家族に対する対応である。

 

「大使館にいる人々は、私たちを人間だと思っていない。ハイ、金だしな(約240万円にいくぶん値引きされた額)! そうしたら渡航許可だすよ、てなもんだ。おとといミャンマーに沙衣子が渡航する際に、大使館の人間はなんて言った?『民主化活動家は、社会を混乱におとしめた人々だから、渡航にはチェックが必要』とか言ってなかったか!? 社会を混乱させた! なぜわれわれは軍事独裁政権に民主化を求めてデモ活動をした? 大量の紙幣を使用停止にして、ミャンマー国内の経済を混乱させたのは、誰だ? 一部の軍人だけが利権を握り、大勢が貧しい社会にしたのは、誰だ?」時に学生の暴力的な行動とも表現される1988年のミャンマー民主化デモに参加した夫は、そのデモのときに、デモ制圧の政府軍人から銃殺されそうになったことをたまに語る。

 

このミャンマー大使館に対するパフォーマンスの目的は、

「民主化したとされるミャンマー政府の出先機関が、自国民および自国民に含まれる民主化活動家への対応を変えたか確かめる」というものだ。日本企業や日本のNGOなどが、民主化したからと利権を求めてミャンマーへ進出しているのに、その背後で民主化前と変わらず、辛酸をなめているミャンマー人がいるのは、ミャンマー人家族を持つ日本人として、聞き捨てならない感じがするのだ。

 

私たちの行動に対する周囲のミャンマー人およびミャンマーにかかわる日本人関係者の反応は「大使館に税金を納めないので、私の娘にパスポートを交付してくれなかった」「税金を納めていない民主化活動家には、パスポートを出さなくても一回だけミャンマーへの渡航許可を出すと大使館は言っている。だけど私には渡航許可が出なかった」「フェイスブックでの続報を待っているよ」などである。

 

大使館に電話すると

「大使の秘書の連絡を待ってください。ハイ」

という返答。

 

「これは、大使館に出向いて、直談判するしかないなあ」

私はそう思った。おととしのミャンマー渡航時にしたように、東京の中心、永田町にいる元大臣の事務室に陳情にいくか、真剣に考え始めた。しかし議員へ陳情すると、実に多くの人が動くのだ。この前は、陳情を受け付けてくれた当時の現役内閣府担当大臣と、もう一人、法務大臣が動いた。大臣秘書が動く。議員連盟が動く。外務省の役人が動く。その際、私がかつて勤めていた出版社の元上司が、私について外務省から聞き取り調査を受けた。フリージャーナリストをしている元上司は、「君がミャンマー人と結婚したことを、外務省の大臣官房から聞いたよ」と言ったのだ。「人生がずいぶんシュールになってきた。個人情報が、役所から元上司に届く。これが身上調査ってやつかしら。」と正直思った。こうした経験があると、なんとなく人に頼むことがおっくうになる。

 

とりあえず、しばらく大使館から返事があるか、様子を見ることにする。(深山沙衣子 2014年5月9日)

 

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