多文化共生に関するひとりごと
写真は7月に、夫らが行ったミャンマー第二の都市マンダレーで、お寺さんでやっている無料の日本語教室。
グローバルって言葉も普及して随分たちます。世界と交流したり、世界に出て行こうという日本政府の戦略を、カッコつけて言ってる言葉です。
多文化共生と言う言葉も、外国人支援の場でよく聞かれます。みんな同じように生きて、息して、差別なく暮らしていこうという合言葉のようなものかと、個人的には思ったりしています。
ただし、日本人の自分が望む多文化共生より、もっと権利や主張をしたいという当事者もいます。多様な世界から来た方と接していたら
当然起こることですが。
彼らができなかった舞台を私や私の仲間が設定したあとで、彼らが、私の居場所をなくすようにして、彼ら自身の手絡という主張をしたりする人もいます。
自分ができないことへの嫉妬、コミュニティーでの存在感を発揮したいから、いろんな理由で、日本人の多文化共生の活動を利用したあと、日本人のはしごを外してくる。
これが、まぎれもない多文化共生の現場で生じる現実です。
これで、日本人から資金や労働力が出ていたら、黙ってやり過ごしていいのでしょうか?
黙って利用されるだけでいいのでしょうか?
私は、人間ができてないので、そういうことをした方々に、容赦なく詰め寄ったり、恫喝したりしてます。
お互いに理解するために、ソフトな態度でうまくいくときと、なめられるときがあります。お互い理解するため、です。
多文化共生を行う日本人の気持ちを表明する必要があるわけです。
こんなこと書くと、もう私のNPOに支援金が来なくなるかもしれません。ですが、、
「お前が有名になるためにやっているんだろう。NPO活動ってのは、貧乏な人間を利用して金を集める手段だ」と、発展途上国出身の受益者から怒鳴られたりします。
私のNPO、リンクトゥミャンマーの事務局長で、これまで国際協力NPOなどで働いてきた粂川美千代さんいわく、「こういうケースでは、だいたい外国人が裏工作して、通訳者を煽動して、日本人の活動家に何も告げず、プロジェクトは崩壊する」ことがよくあるそうです。面と向かって活動家の日本人にクレームが来るのはなかなかないとか。
つまり、誰かの顔を立てると、別の誰かの嫉妬をあおって、結果として、内部崩壊を計画したりする人もいるのです。
私はやっぱり、人間ができていないので、内部崩壊を企む人の弱みを探し出し、彼らの日常で大事な人間関係や、誇りをチクチクつついて、これ以上悪をすると、あなたの人生の土台はどうなるかな、と裏工作で伝えていきます。
私が直接伝えるのでなく、彼らのサイフに近い人にやってもらいます。
そうです、私は、外国人と日本人が触れ合う機会を増やし、彼ら相互の幸せを作り出すために、手段を選んでいないのかもしれません。
仕事をした人のはしごを外す行為はよろしくない。しかしはしごを外した人に対する私の対応やマネジメントはもっと汚いかもしれません。
さいきん、皆さんケンカしないですよね。出る杭は打たれるということわざもあります。
出る杭は打たれても、ただじゃ倒れませんから!
「このやろう」とか「バカ」とか言われたの、中学生以来かもしれません。いや、出版社勤務以来でしょうか?
でも、いちいち対応するのも疲れますよね。なぜやるかって? やはり、社会にとっても、家族にとっても、やったほうがよいと思うからです。
ある学生さんが、「国際協力ってキラキラネームというか、そんなイメージあります」
と語っていました。
キラキラなんて、いつの時代のことでしょうか。。。
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