難民 refugee

2012年2月28日 (火)

Kachin Wedding!? カチン族の結婚式!?

ミャンマーの少数民族、カチン族の結婚式!?

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「!?」なんですよ。なぜなら新婦はカチン族ですが、新郎はミャンマーの少数民族であるアラカン族の方なんですね。そしてカチン族はクリスチャンで、アラカン族は仏教徒だと。結婚式はどっちのスタイルにするんじゃとなって、「教会で挙式をするにきまってるわ!」という意見が勝った。当然のごとく嫁が勝った。んじゃ、キリスト式挙式の後に、仏教式の結婚式も行ったのかというと、やらなかった。東京の韓国人街・大久保にて、韓国人が取り仕切る教会で挙式を上げて、そのまま高田馬場の居酒屋で二次会となった。挙式ではご覧のとおり、新郎新婦ともにカチン族の民族衣装を身にまとった。とっても素敵でしょ。素敵なのよ。だけど、だけどね!!新郎の友人たち、アラカン族の面々はこそこそと、いや、もぞもぞと口にしあった。

「なんでアラカン族の民族衣装を着ないんだ?」

このセリフの翻訳(アラカン民族の誇りはどこへ行った!? なぜ大事なところで嫁のいいなりになっているんだ。男だろ!!!)

こんな言葉まで出た。

「あいつ、そのうち仏教徒をやめてキリスト教徒になるかもな。アハハ」

翻訳(これから一生、奥さんに従いっぱなしかよ)

「まあ、なんの民族でもいいよ、結婚して幸せになるならさ。新郎が民族を鞍替えってんでアラカン族からカチン族になっても何でもいいよ。でもキリスト教の結婚式って神の前で『一生嫁を幸せにします』って宣言するんだね。そんなの口にしなくても、仏教徒は当たり前のこととして実行してるけどね」

翻訳(仏教を捨てるなんて、ありえない)

かように他民族国家のミャンマーでは、結婚式でも他民族共生やら民族の保持の難しさやらを感じてしまうのでした。

だけど結婚式だから、結局、最終的には平和。ピース。PEACE

「韓国人がやってる教会だから、結婚式で韓国料理が振舞われるんだねえ。……美味い!!角煮がサイコー!!」

と、しこたま料理を食べて、アラカン人もカチン人もビルマ人も、韓国人も、仏教徒もキリスト教徒も満足なのでした。

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ちなみに、これが日本とミャンマーの文化が融合した姿。我が家の多文化共生の形。ミャンマー人もご祝儀を結婚式に持っていくので、日本の熨斗袋を使っている。このミャンマー文字、私が書きました!!ただ「私、チョットばかし、ミャンマー語とやらを書けるようになった」って自慢したいだけ!!以上。

2011年12月25日 (日)

カレン民族の新年パーティーで思うあれこれ。

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ミャンマー国出身の少数民族、カレン族の人々が、日本で新年を祝うようになって13周年だそうだ。「だそうだ」とは、私がカレン族の新年パーティに訪れたのは今年が2周年で、以前の様子を知らないからだ。新年会に参加する私の下心は、ジャーナリストとして第三国定住難民に会うこと、願わくば情報を得ること。だが、この1年半、カレン人への取材を通して彼ら、彼女らの率直で誠実、勤勉な人間性に魅せられ、取材を抜きにして、カレン人と友達でありたいと願うようになってきた。こちらの片思いかもしれないが、好意を寄せるのは個人の自由だろう。新年会には日本在住のカレン人が150人弱集い、にぎわいを見せた。

新年会のプログラムには「カレン暦2751年」とある。なんと彼らはこのような長きにわたって民族の歴史を語り継いできたことになる。真偽はともあれ、彼らはそう信じている。個人差はあるだろうが、この催しに参加するカレン人は国籍であるミャンマー人であることより、カレン人であることを自身のアイデンティティとして重視している。多くの日本人は自分が何者かを問われると、迷わず国籍を口にするし、国籍と民族の区別がついていない。一方で、多民族国家に生まれた彼らにとって、国籍と民族は大きく異なる概念だ。日本にいる場合、彼らは「ミャンマー人です」と自身を紹介する。仲良くなってくると、「実はミャンマーの中の少数民族のカレン族出身です」と告げ、それからはカレン族の話ばかりになる。つまり、国籍は海外渡航や外国人への自己紹介などで使う便宜上の身分で、民族こそが「自分とは!」を表す最重要の情報であることが分かる。

さて、新年会の内容だが、プログラム内「新年のメッセージ」は、4つの言語でスピーチがある。ビルマ語、スゴーカレン語、ポーカレン語、ポーカレン語(東部)。ある人はビルマ語しか分からず、ある人はスゴーカレン語しか知らない、人によってはビルマ語とある1つのカレン語は分かる、などなど、同じ民族でも、話す言葉が実にバラエティに富む。民族的アイデンティティは同じでも、場合によっては一対一でコミュニケーションが不可能であることを自覚している。私の非常に貧弱なビルマ語能力によると、新年のメッセージは「今日ここにカレン民族のみんなが集い、今年も新年が祝えて嬉しい」という内容だった。もっと色々話していたんですけどね……来年こそは、ビルマ語をもう少し勉強して、さらに詳しく聞き取れるようになります……。

第三国定住難民の成人の方と話したが、かなり日本語が達者になっていた。ここ数年ミャンマーに関する取材をしている私のビルマ語能力がいかに向上していないか、自身と比較して思い知らされること多々あり、である。自戒はここまでにして、その方は日本に住めたことをとても良かったと思っており、仕事も頑張っている様子。私は友達気分で(中立を保つべきであるジャーナリストとしていかがなものか、はよく分かっている)「良かったですね~」と嬉しくなって相槌を打つ。

ただし一つ気になることがあった。それは難民の方に関するものではなく、第三国定住難民と共に新年会に来た外務省の外郭団体、難民事業本部の職員が、私が第三国定住難民の方と会話するたび、常に背後にぴたっといて話を聞いているのだ。偶然私のそばに立っていたという風情ではない。言うならば、その様子は新宿駅前でデモを見守る私服警官の態度にそっくりなのだ。難民事業本部は第三国定住の情報が外部に流出することに対して非常に神経質で、難民に言論の自由はないとの態度がアリアリである。はっきり言って人道支援における人権侵害ではないか。ここで私が難民の方に詳細な情報を聞き出すと、彼らがのちのち難民事業本部の職員からとがめを受けるだろう。彼らは日本政府から滞在許可をもらっている弱い立場にいる。それが分かるから、詳しく取材ができない。こんな難民支援があっていいのかと忸怩たる思いを抱えつつも、カレン人難民は「そんなもんだ」と大げさには気にしないかに見える。つくづく日本人の考える人権擁護の姿と、難民が望む希望や幸福の概念の概念が、似ているようで、いろいろと詳細は異なることを実感する。

カレン人の歴史などのスピーチが終わったら、カレン料理のバイキングを楽しみながら、合唱を聞く。彼らの多くがキリスト教徒で、今日はクリスマスだ。大いに合唱したいだろう。新年会会場のレストランホールが、にぎやかな教会のミサのようになる。新たな命を授かった若いカップル、今年来日した第三国定住難民の子ども、20年近く日本にいてミャンマーの民主化を求め続けた政治活動家……さまざまなカレン人が一同にして再会を喜び合う姿に、「友達」気分の私も幸せな気持ちが芽生えた時間を過ごした。ちなみにバイキング料理は、今まで食べたカレン料理で一番おいしかった。もしかしたら、私の舌がナンプラーや唐辛子味やタイ米に慣れてきた証拠かもしれない。

2011年12月16日 (金)

【ビルマ市民フォーラムメール転送】カチン難民支援にご協力ください

以下,ビルマ市民フォーラムのメールを転送いたします。

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皆さま、

6月に勃発したビルマ国軍のカチン民族勢力地域への侵攻から多くの避難民が出ています。

カチン民族のグループ、ウンパウン・ニントゥエ(カチン民族の夜明け)WPNが、
日本ビルマ救援センターに緊急支援依頼を求めてきました。

(企画書英語、日本語は後日、日本ビルマ救援センター
http://www.brcj.org/ に掲載いたします)

●プロジェクト名:カチン州国境、国内避難民緊急支援
●プロジェクト地域:カチン州東部
●プロジェクト時期:2012年1月1日~31日
●プロジェクト対象:カチン州戦闘地域に避難する国内避難民1万人

●背景
2011年6月9日、ビルマ国軍はテイピン川に囲まれたカチン独立軍支配地域で戦闘を開始した。戦闘はカチン州にまで及び、プタオ、ダナイ、ワイモウ、バモーの町とカチン州に接しているシャン州北部も戦闘地となった。村人たちはいちばん近い都市に逃れた。、カチン独立組織の支配地域まで逃げ延びた人もいる。シャン州やバモーの国内避難民は中国国境のマイジャーヤンへ移動した。現在マイジャーヤンには1万人以上の国内避難民がいる。ワイモウからの国内避難民はライザー(カチン独立組織の本部がある)へと移動している。中国国境のライザーには2万人を越える国内避難民がいる。中国側には数千人が避難しているが、中国政府は避難民への支援提供を拒否している。村人はビルマ国軍の暴力や攻撃を恐れて、土地や財産を捨ててきた。多くの国内避難民は未だにジャングルにいる。さらに多くの国内避難民が国境へと逃れてくるだろう。

現在ウンパウン・ニントゥエ(カチン民族の夜明け)救援グループ(WPN)は東部で継続して、国内避難民を援助している唯一の団体である。国内避難民は避難所、食糧、薬、衣服、子どものための学用品を含む様々な日常品が必要である。WPNはこれらを提供する支援活動を企画している。

●組織の歴史:
2011年6月9日カチン州でビルマ国軍との衝突が勃発した。衝突からおこった人道的危機に応えて、ウンパウン・ニントゥエ(カチン民族の夜明け)WPNはマイジャーヤンで2011年6月14日に設立した。WPNは紛争によって逃れてきた国内避難民や難民へ緊急援助を提供し、人権侵害や虐待の様子を記録している。WPNは特に東部の国内避難民の要求にこたえている。地域のリーダーや様々な宗派の教会のグループ、女性グループ、学校の先生、そして地元のNGOなどで救援チームは組織されている。確実に援助を届けるための必要な知識を持った団体で組織されている。

◇■カチン民族国内避難民緊急支援にご協力いただける皆さんへ■◇

1.郵便振替口座 00930-0-146926 口座名 BRC-J

2.りそな銀行 金剛支店 (普通) 6553928 口座名 日本ビルマ救援センター

銀行振り込みの場合は、センターまでお名前とご住所をお知らせください。
brcj@syd.odn.ne.jp
領収書をお送りいたします。

ご協力をよろしくお願いいたします。

**********************
◆参考◆

ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo)がお送りする
きょうのビルマのニュースより
http://d.hatena.ne.jp/burmainfo/

2011年12月9日

■国境・少数民族武装勢力
シドニー・モーニング・ヘラルド:
 カチン州で ビルマ国軍とカチン民族勢力との戦闘が激化 民主化改革に影

ロイター:
カチン州で続く武力紛争で 3~4万人が避難民に 人道援助と長期的な援助が必要と支援団体

バンコク・ポスト:
カチン州で 政府軍とカチン民族武装勢力との紛争が激化 人道危機に陥る危険があると国際NGO 推定3万人の避難民について深い懸念を表明


-- Burmese Relief Center Japan
http://www.brcj.org/

2011年8月 8日 (月)

2011年度8888デモ 要求の詳細

日本にいるミャンマー人・難民たちがミャンマーの民主化を望むのはなぜか? 今回の8888デモで配られたビラを読めば理由が分かります。以下にビラの内容を掲載します。

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ミャンマーに平和と真の民主化を!!

ミャンマーは民政移管を装っているが、事実上の軍事政権です。(ビルマ民主化ネットワーク)

現在のミャンマー情勢

ミャンマーでは2010年11月、1990年以来の総選挙が実施されました。しかし選挙制度は軍政の翼賛政党「連邦団結発展党」(USDP)に有利なように作られ、上下両院とも定数の8割以上を軍人か軍関係者が占めました。形の上では軍事政権から民政に移管したとされています。しかし重要閣僚ポストは軍部が握り、議会も政府も実質的に軍部が支配しています。軍が政治に強い影響力を持つ構造に変わりははく、民主化にはほど遠いと言わざるを得ません。

欧米諸国は「カタチを変えただけの軍政継続」と批判を強めました。しかし日本政府は、ミャンマーへの関与を本格化させたいねらい(※地下油田があるミャンマーへの経済関与、中国とミャンマーが接近して中国のアジア覇権が広がるのをいやがる等、日本にはミャンマーに一定の影響力を維持したい理由がある)で、民主化に向けた一歩だと一定の評価をしました。

先日、在米ミャンマー大使館の高官2人が米国への亡命を求めました。2人とも総選挙の後、民主化がすすむと期待したが「軍事政権から民政へと表紙は変わっても、中身はなんら変わらなかった」「軍が圧倒的な権力を握り続けている。軍高官が支配力を強め、民主化の声をもみ消そうとしている」「選挙から、もう半年が過ぎたのに、状況は選挙前よりも悪化さえしている」「祖国の変化を待つことにうんざりした」「政権がいつまた、アウンサンスーチー氏に牙をむくか分からない」と指摘しました。

ミャンマーではいまだに少数民族の地方(シャン州、カレン州、モン州)で国軍による戦闘が続いています。北部のカチン州では2011年6月9日、国軍がカチン独立軍(KIA,カチン独立機構の軍事部門。ビルマ少数民族武装勢力の1つ)との停戦合意を17年ぶりに破棄し、武力紛争が始まりました。

戦闘が起きたのは中国国境に近いターペイン第一、第二ダム周辺で、ビルマ国軍とKIAが互いにこの地域からの撤退を要求し、双方が譲らなかったため交戦に至りました。両ダムは中国の大唐集団とミャンマー政府との共同事業で、生産される電力の90%が中国に送られます。ターペイン第一ダムは2011年初めに完成。同第二ダムの建設もすすんでましたが、戦闘勃発で第一ダムの発電は停止され、第二ダムの建設作業も止まっているとみられます。

中国はミャンマー各地で自国要のエネルギー開発事業を行っていますが、カチン州だけでも9つの水力発電ダム事業をビルマ政府と共同ですすめています。アウンサンスーチー氏は「ミャンマーの国内総生産(GDP)の40%が軍事費に使われ、公衆衛生などには2%しか使われていない」と強調しています。

現地の事情を把握している亡命者組織の在タイ・カチン女性協会(本部はタイのチェンマイ)によれば、戦闘地域では、これまで同協会が確認しただけで約30人のカチン人女性、少女が国軍兵士によって強姦され、うち約10人が殺害されたといいます。両親の目の前で強姦された後に殺された少女もおり、KIA支持者と国軍に疑われた住民が、KIA本部があるライザ周辺などに避難しています。避難民の多くは農民で、田畑を放棄して逃げてきたため、このまま戻れなければカチン州で食糧不足が起きる可能性もあります。

ミャンマー政府は戦闘開始から10日後、「国軍がKIAに対する攻撃を始めた目的はただ一つ、国軍兵士と国家にとって重要な水力発電事業を守るためだ」とし、今回の戦闘をターペインダムの稼動・建設を守る目的だと表明しました。

・・・・・・

ヒラリー・クリントン米国務長官は東南アジア諸国連合(ASEAN)との外相会談で、ミャンマーに対して「これまでの軍事政権とおなじ道を歩むかの分岐点にいる」と述べ、「2000人以上の政治犯を無条件で釈放すべき」と要求。「民主化運動指導者アウンサンスーチーさんら民主化勢力などとの対話の重要性を」と強調しました。

また北朝鮮による大量破壊兵器拡散にミャンマーが関与している可能性を示唆し、説明を求めるとともに「民主化改革なしには、ミャンマーが2014年のASEAN議長国となる国際的な正当性を欠く」と現状では容認できない立場を示しています。

8888とは?

8月8日はミャンマー人にとって、ただのゾロ目の日ではない。1988年8月8日、軍事独裁政権の妥当と民主化の実現のため、学生や僧侶がミャンマー国内全土で民主化活動を展開した「8888ビルマ民主化運動」の記念日だ。2011年の今年は23周年目を迎えた。毎年8月8日は、日本に亡命したミャンマー人難民たちが民主化運動の犠牲者を悼み、祖国の民主化を実現すべくデモンストレーションを実施する。

というわけで、さきほどの写真は東京、五反田から品川のミャンマー大使館まで行われたデモ集会・行進の様子。今回のデモにおける要求は以下の通り。

ミャンマー軍事新政権への要求

・すべての政治囚を無条件で即時に解放すること

・ミャンマー国民への人権侵害をやめること

・少数民族との内戦をすぐに中止すること

・平和と真の民主化を実行すること

・国民和解のため、アウンサンスーチー氏を含む民主化勢力との対話をすること

日本政府と国際社会への要求

・ミャンマー軍事政権に対し、国連独立調査団の結成に参加すること

ビルマにおける第23回8888民主化記念日行進デモ@五反田・東京

Gun

Syousuuminzoku

Kokki

Taiwa

Stop

Hata

2011年7月17日 (日)

無期限収容が人間性をむしばむ ~法務省東日本入国管理センターで外国人収容者と面会して~

下のコラムは人権団体アムネスティ・インターナショナル日本が主催する日本の外国人収容所訪問ボランティアに参加した際、私が提出したレポートです。アムネスティ静岡グループの通信に掲載していただきました!

このボランティアは、日本に滞在許可がない外国人を収容する外国人収容所を月1回訪問するもので、アムネスティ難民チームの会員の方と共に、1回の訪問につき3人のボランティアが同行できます。収容所では、面会を希望して事前にアムネスティに電話連絡してきた収容者に20分ほど面会します。

面会では、「なぜ日本に来たのか?」「やむにやまれぬ事情があって日本にきたのか?」「今後も日本にとどまりたいか否か?」「現在の健康状態は?」などを質問し、しかるべき対処を検討する情報源とします。しかるべき対処とは、祖国にいられない事情があって日本にやってきた人の難民申請を手伝う、健康状態が悪い人に対しては入国管理局に医療処置を促すなどです。

ぜひご一読ください。専門用語は文末に注釈を入れています。

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「無期限収容が人間性をむしばむ」

法務省東日本入国管理センターで外国人収容者と面会して
2011年5月27日 深山沙衣子

 2011年5月25日、アムネスティ・インターナショナル日本が主催する法務省東日本入国管理センター(茨城県牛久市)の外国人収容者面会ボランティアに参加させていただいた。私がこの面会ボランティアに参加した理由は、日本政府による外国人収容・管理の実態として、日本に3カ所ある代表的な外国人収容所の1つ(注1)を見ておきたかったことがある。

 東日本入国管理センターは都会から隔絶され、山と畑に囲まれていた。5月で新緑が鮮やかということもあるが、広い敷地は緑豊かな木々に覆われ、静かだ。最寄り駅からもタクシーが必要なへんぴな土地に同センターがあるのは、人目に触れさせないよう密室で外国人収容・送還を行いたい法務省の意図があるのではと思わせた。

 ここは東京・品川にある外国人収容所(注2)と異なり、被収容者の家族が面会するにも交通費、時間、手間を要する。実際に面会者の待合室は、家族とおぼしき面会希望者が品川に比べて格段に少なく、ぽつぽつといるだけだ。「家族や支援団体の人間から遠く離れた場所で収容を行う」法務省の意図は成功している。

 しかしこちらには、牛久の会(注3)という外国人収容所の処遇改善を求めるボランティア団体がおり、待合室では同会メンバーが5人ほどいて、被収容者の面会を待っていた。代表の田中喜美子氏は「今日会う予定の被収容者は19人」と語る。精力的に面会をする姿に感銘を受けた。毎週水曜日にボランティア面会に訪れる牛久の会の継続性には頭が下がる。

 私がお会いした4人の被収容者の1人はアフリカ出身の女性で、仮放免保証金詐欺(注4)ともいえる被害にあっていた。品川の外国人収容所に出入りする自称・行政書士に話を持ちかけられ、彼に家族の電話番号を教え、家族は多額の費用を持ち逃げされたという。彼女が知るうちで被害者は6人、被害額は1人につき17万円から80万円。ビザ取得の術がなく、しかも法務省によりオーバーステイで収監された外国人の弱みにつけこむ自称・行政書士のあざとさに、あきれ返ってしまった。つたない日本語で被害状況をしたためた紙を狭い面会室のアクリル板越しに見せる彼女は「今もあいつは品川の入管を出入りし、外国人をだまくらかしている。収容されていては何も訴えることができない」と無力感をあらわにした。

 4人の被収容者が共通して言うのは、皮膚の湿疹、歯や心臓や腹部の痛みなど、何に関しても飲み薬をとにかく多く処方されること、それらはあまり効果がないこと、そしていつまで収容されるか分からない無期限収容への不安だった。難民申請をする者、する意図がない者さまざまで(注5)、難民申請をしているにせよ、難民認定を受ける確たる証拠があるかどうかは、たった1回の面会では測りかねる(注6)。だが中には難民申請した後も無期限で収容されている人がおり、難民申請中の拘束を禁じる難民条約違反が公然と行われている(注7)。それ以前に、低レベルの医療しか受けられない環境にさらしているのは人道上問題がある。昨年出た自殺未遂者と近くの独房に収容されていたインド人男性と面会したが、未遂者は収容所内でハンガーストライキを行ったため、自殺を図る前の数日間、飲み水を与えられていなかったという(注8)

 彼ら外国人被収容者の犯した罪とは何か? 日本にいる法的な権利がないということだ。 しかしこれは飲み水を与えられない情況にさらされるほどの罪なのだろうか? 私たちの社会はこうしたビザのない外国人労働者なくして車のパーツを組み立てられず、都心のコンビニや居酒屋、レストランは運営できない。社会に必要な労働者として外国人を便利に使っておきながら、一方で「外国人は危険」という標語をあえて流し、不法滞在と分かると無期限に収容する日本人の態度は、少々傲慢に思える。外国人労働者が社会に必要なのであれば、しかるべきビザを設けて付与すべきである。法務省が「不法滞在の外国人が犯罪に走るケースが増えている」と言うのは、単なるオーバーステイの外国人労働者と、麻薬密売や強盗事件を起こす外国人を混同して外国人全般を排除するよう国民に喧伝しているのだが、前者は無期限収容の罰を受けるほどの罪を犯しているとは思えない。

 難民申請者も含めて、外国人を無期限に収容所に入れるのは彼らの人間性をむしばむ。収容するならせめて期限を決め、しかるべき審査をして、オーバーステイ以外の罪がなければ早急に仮放免を出すなど被収容者の処遇を明らかにすべきだ。
 そして最終的には、彼ら、彼女ら外国人と日本人が共に生きる公正な社会のデザイン図を描き、デザイン図を広く国民と共有していく必要がある。このようなことを実感した牛久の訪問だった。

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(注1)日本に3カ所ある代表的な外国人収容所の1つ…入管行政を行う機構は法務省入国管理局と、その下部にある地方入国管理局8カ所、さらにその下部の同支局7カ所、出張所61カ所である。ここで言う3カ所とは、上記の機関とは別に、滞在許可のない外国人を収容する大規模施設を指す。茨城県の東日本入国管理センター、大阪府の西日本入国管理センター、長崎県の大村入国管理センターだ。

(注2)東京・品川にある外国人収容所…入国管理局の下にある地方入国管理局の1つ、東京入国管理局を指す。茨城県の東日本入国管理センターより小規模だが、収容施設として機能している。長期収容の場合、品川の東京入国管理局から茨城県の収容所に収容者が移送されることがよくある。

(注3)牛久の会…「牛久入管収容所問題を考える会」の略。収容者に毎週面会にいく活動などを通じて、収容所の待遇改善などを求めているボランティア団体。同団体は2011年度第25回東京弁護士会人権賞を受賞している。私が知るミャンマー(ビルマ)人難民たちの多くは収容経験がある。そして収容されている間に同会に世話になっており、彼らは同会代表の田中氏を非常に敬愛している。収容経験者で同会のメンバーになっているミャンマー人もいる。

(注4)仮放免保証金詐欺…仮放免とは入国管理局が、収容者などの請求もしくは入国管理局の職権により、収容を一時的に解く措置。詳しくはコチラ(法務省入国管理局HP)。

仮放免の際、収容者は身元保証人と保証金を求められるが、日本に身寄りのない外国人にとって双方を探すのは大きな負担となっている。保証金は300万円以下とされているが、人によって20万円だったり50万円だったり、「まけて」と言って10万円下がったりする。これは保証金について定める法律がないため、入国管理局による判断とさじ加減によって保証金額が変動するからだ。この現状を利用して、長いこと収容されて収入のない外国人に対し「代わりに保証金を払ってやるから金をよこせ」と触れ回るサギがいる、ということ。外国人を入国させるブローカーは、日本への入国手配にあたって1人につき数十万円から数百万円の金額を要求するため、外国人も「日本にいるための処置ならば」と不思議に思うことなく、数十万円なら平気で払ってしまう。

この時点で分かっていたことは、今回のケースでの被害者は全員女性の外国人5人で、国籍はバラバラ。うち2人は送還で帰国したため、払った金は泣き寝入り状態だ。

(注5)難民申請をする者、する意図がない者さまざまで…自身の政治思想や宗教、性別などによる迫害で逃れてきた外国人は難民申請をする場合が多い。だが、仕事をして外貨を稼ぐ目的で来た外国人や、かつてそうした目的で両親が来日した際についてきた子どもが成人し、その後も日本で生活しているが滞在許可がない、といった場合は難民とは言いがたく、収容者自身も難民申請をする意図がない。

(注6)難民申請をしているにせよ、難民認定を受ける確たる証拠があるかどうかは、たった1回の面会では測りかねる…難民申請すると、入国管理局から難民認定まで数回の審査を受ける。審査基準に該当しないと難民とは認定されない。

現在の法務省入国管理局長、高宮茂氏いわく、現在の難民認定で問題になっているのは「申請者の証言が正しいかどうか」。

たとえば「ワタシはパキスタンで◎◎という少数派の政治結社に入っていて、反対勢力の人間に暗殺されそうになった」と申請者が証言しても、日本の入国管理局は現地まで行って真実を確かめる術がないし、あまり真剣に確かめようとする意思もない。だからたとえ身の危険が迫っている人が真実を語っていても、入国管理局は難民に該当する迫害を受けていないと判断することもある。一方で逆に申請者が日本の滞在許可を得るため難民申請をして、ことを大袈裟に語っている可能性もある。

(注7)難民申請した後も無期限で収容されている人がおり、難民申請中の拘束を禁じる難民条約違反が公然と行われている…難民条約とは、日本が加盟している「難民の地位に関する条約」。同条約31条には「締約国は、…難民であって許可なく入国、滞在した者に対し、不法入国および不法滞在を理由として刑罰を科してはならない」とある。日本の外国人入国管理は、難民も「不法滞在者」として収容しているため、同条約にそぐう待遇をしていない。

ただし難民条約31条では、上記の文章の後に、「当該難民が遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法に入国、滞在することの相当な理由を示すことを条件とする」と付記されている。これを根拠にしているか分からないが、入国管理局は現在、入国から半年以内に難民申請した外国人に対しては仮滞在許可を出し、祖国へ強制送還する手続きを停止する。つまり不法入国や不法滞在に対する刑罰は科さない処置をとっている。

しかし実際の難民に事情を聞くと、来日してすぐに難民申請をする知識や余裕のある人はほとんどいない。ましてや警察と一緒に入国管理局の職員が滞在許可のない外国人をしょっぴいている現状では、難民であっても難民申請をせず、警官に職務質問されないよう気をつけながら何年も生きてきた人が多い。ゆえに入国後半年以内に難民申請をすれば・・・という仮滞在許可制度は机上の空論に近い。

私はこの難民条約違反に関する質問を現・入管局長にする機会があった。彼は「難民申請者でもオーバーステイ年数が長ければ収容することもある。しかし祖国に送還はしていない」(つまり申請者の命は守っている)と答えた。

(注8)昨年出た自殺未遂者と近くの独房に収容されていたインド人男性と面会したが、未遂者は収容所内でハンガーストライキを行ったため、自殺を図る前の数日間、飲み水を与えられていなかったという…2010年に東日本入国管理センターで収容者2人が自殺した。詳しくはコチラ(みやまさえこブログ記事)。ほかにも自殺未遂者がいたという話。2011年5月時点の情報で、その自殺未遂者は埼玉県の病院に搬送されたが、その後どうなったかは分からないという。ハンガーストライキは収容所の処遇改善を求めた行動。

2011年6月 8日 (水)

タイでGETしたミャンマー土産

タイには、隣国ミャンマーから出稼ぎや人権侵害により避難してきたミャンマー人が少なくとも300万人(人によっては500万人と言う)は住んでいる。難民のミャンマー人はタイ政府によってタイ国内の移動を制限され、ひとつの地区から外に出られないことがある。そんなミャンマー人のためにタイで発達したのが、ミャンマーグッズを販売する行商だ。行商はミャンマー人労働者が多くいる会社や工場を訪れ、自国の食べ物や雑貨を売りさばく。

Kasi

2011年5月中旬、家族がタイのバンコクに集う。写真はタイのミャンマー人行商からGETしたミャンマー産の品々。ミャンマーのメン料理であるモヒンガーの素が入ったインスタント食品(右下の黄色・オレンジと中央下の緑色の袋)、茶葉とナッツを炒めるラペッ(右下の緑ボトルと豆の入った袋)、ひまわりの種(中央下)、乾燥海老のふりかけ(左下)、タマリンドの飴(中央部) 、ドライフルーツ、ほか変り種ではヤギの乾燥肉など。

●味の評価● ※星5つが満点

インスタントモヒンガー:☆☆☆☆☆ ※日本のミャンマー人が屋台で作るものより、さっぱりしてうまい。

ひまわりの種:☆☆ ※中国人が生産しているのがパッケージの漢字から分かるが、八角のようなスパイスが効きすぎていまいち

乾燥海老のふりかけ:☆☆☆☆☆ ※ドライにんにくとまぜて、白いご飯にかけて食べる。ミャンマーの魚を食べる人々にとっては、日本の小女子に位置する食品のようだ。しいて言えば、ちりめんじゃこに近い感じで、くせがなく美味しい。

タマリンドの飴:☆☆☆☆ ※乾燥タマリンドに砂糖をまぶした自然のままのソフトキャンディー。濃い味がくせになる。

ラペッ&ヤギの乾燥肉:未評価 ※食べていない

2011年6月 1日 (水)

ミャンマー人の結婚式に参加した。【2】

Hanawa

ゾーミンカイ氏夫婦が、新郎新婦に花の首飾りをかける。この後、3人ほどの祝辞スピーチ。通常ミャンマー人のスピーチは1人で30分間も話すなど、あり得ないほど長いので、 この日も長々と演説を聴くのかと覚悟していたが、開始時間が遅れたためか1人10分間ほどで終わり。

Koromogae

披露宴から立食パーティーに移行すると同時に、新郎新婦は洋装に。洋装と言っても、女性の衣装はミャンマー民族衣装の布地で作られている。

Karaoke

立食パーティーでは、アラカン語の歌謡曲がエンドレスで流れる。それに合わせてカラオケをする輩が出てきた。日本の秩序立った披露宴とはかけ離れた自由さ。

Saigo

新郎新婦が式場を去る時には、参列者が出口で待ち構える。これはミャンマーの伝統で、新郎新婦が参列者にお金を渡さないと、外には出れないという儀式。その意図は、「まだまだ結婚式を楽しもうよ」と新郎新婦を出口から逃さないようにする友人たちに対して、「私たちは一刻も早く2人きりになって、ラブラブしたいのよ。でも友達が出口を塞ぐというなら、お金をあげてどいてもらおう」という気持ちを表すという・・・・・・。千円札、万札が参列者の間を飛び交い、ワーワー(ギャーギャー)騒ぎながら札を取りあう。

ちなみに、式前にご祝儀をあげるのは日本と同じ。ただ日本のように「札が奇数になるように」「友人は●万円、上司は●万円」といった細かい決まりごとはない。

総括・ミャンマー人の結婚式は、日本の披露宴ほど綿密な計画上に進められるわけではないが、一定のルールや儀式にのっとって行われるようだ。経験になりました。

ミャンマー人の結婚式に参加した。【1】

2011年5月初旬、私は東京で開催されたミャンマー人の結婚式に参加した。日本にいるミャンマー人は8000人近く、うちミャンマーの軍事政権に対して民主化活動を展開するグループが31団体ほど存在する。各団体は主にミャンマー国内に多数存在する民族ごとに集まって活動している(民族を隔てた団体もある)。

今回の結婚式は新郎がアラカン人なので、アラカン人の民主化活動グループのアラカン民主連盟(Alakan League For Democracy, ALD)とアラカン人のボランティア団体Alakan Social Association Japan(ASAJ)の面々が多く出席した。

ちなみにアラカン人はバングラディッシュ国境と接するミャンマー西部のアラカン州という地域に多く住み、一部は国境を越えてバングラディッシュにも住んでいる。よって純粋にミャンマーの民主化を求めないアラカン人の団体には、在日ミャンマー人とバングラディッシュ人が混在する。つまりALDにはミャンマー国籍のアラカン人が所属し、ASAJにはミャンマー国籍とバングラディッシュ国籍のアラカン人がいる。結婚式の出席者は両団体、両国から100人以上が参列した。もちろんアラカン人がミャンマーの他民族であるビルマ人などのパートナーを持つケースも多く、参加者の民族は多種多様だ。

ちなみに日本人の出席者は新郎の雇い主である材木屋の社長さんと、バングラディッシュ国籍のアラカン人の日本人妻、そして私の3人だった。

Photo

結婚式開始まで待つ。午後4時開催が、1時間経っても始まらない。写真左から2番目、アラカン人民主化活動家の中核の1人、ゾーミンカイン氏いわく、「これがバーマ(Burma、ビルマ)スタンダードタイムである」と。写真には写っていないが、私の右隣にいたアラカン人の学者先生も5時になると「レーナイン(ミャンマー語で4時)開始って言ったじゃないかよオ」とさすがにいらだちを隠せない様子。この写真では中央で携帯電話を持つアプ氏のみバングラディッシュ国籍で、ほかはミャンマー国籍(と日本で生まれた事実上無国籍の子)。ちなみに席次は決まっていないが、新郎新婦に近い位置から、何となく、各団体の序列で偉い順に座る。序列は、民主化活動を積極的にやっているか、活動の先輩であるか、そして頭が切れるか、などで決まっているように見える。

Photo_2

ようやく開始

Photo_3

Photo_4

指輪は立会人の夫婦が、新郎新婦にはめてあげる。立会人の女性は新郎に、男性は新婦に指輪をはめるのが形式らしい。

Photo_5

アラカン人夫婦立会いによる、結婚署名を行う。

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